娘のことはまだトラウマになっている。
ひとりで4年も苦しんでいたのに気付かなかった。
打ち明けられた時はまさに青天の霹靂だった。
思春期の女の子としてとても辛い思いをしていたわけだが、
その後、各科を受診している間も、親として耐え難かった。
総合病院以外にも2件訪れた。
症状を理解してもらえない娘は、ポツポツといじめのことも打ち明け出した。
「異常ありません」といわれる度に、
「そんな筈ない」と訴える、歪んだ泣き顔が、私の脳裏から離れなくなった。
あれよあれよという間に、パニック状態になり
人とすれ違うたびにビクッとし、電車にも乗れなくなった。
駅のホームから電話してきたときは、
発作的に飛び降りるのではないかと、おろおろしたものだ。
娘の言葉がどこまで客観的事実なのか、
「確かめなくては始まらないのに、確かめられない」病に、私自身が罹ってしまった。
皆受験生で、大事な時期だったこともあり、確かめるのは無理な相談だったし、
医師たちは全然気に留めてなかったが、身体の異常の可能性を捨てきれなかった。
当時は、それ無しには正しい治療が受けられないと思い込んでいた。
(実際、診断が違えば全然違う薬が出される。
セカンドオピニオンで、そのときの処方が逆効果だとも指摘された。)
2年生までは学校の進学実績に貢献すると期待されていた娘は、
一転して大きなお荷物になってしまった。世間から見捨てられてしまったのだ。
大変お世話になった担任の「"Cは信頼置ける男"だから、彼に聞いてみる。」
という言葉は百パーセント信じていた、一年以上たったころ娘に伝えるまでは。
かばっただけかもしれないと気付き、本当に悲しかった。
お立場を考えれば責められないが、
「Cが一番卑怯なやつだ」という娘の「教師」というものに対する評価は下がった。
娘の怒りが頂点に達していた頃は、
ペットを握り潰さんばかりにして、「殺したい!」と口走った。
「どうして、あんなやつ(医学部を目指していたA)が医者になるのか!」とも言っていた。
後に娘は、受験会場でCに遭遇した。
一度も受験出来ずに浪人し、模擬試験など受ける余裕も無かったが、入試は何とか受験した。
やっとの思いで帰宅した娘が開口一番に「Cとすれ違った。○○と言った。」と訴えた。
まだ、全然治ってなかったのだ!!
0 件のコメント:
コメントを投稿